TOKYO STATION HISTORY WALK

知ると歩きたくなる東京駅|見どころ・歴史シリーズ

第3話 / 全10話 読了時間 約4分

東京駅に残る首相襲撃事件の痕跡|原敬・濱口雄幸ゆかりの場所

約9年の間に、同じ東京駅で2人の現職首相が襲われました。

東京駅丸の内南口の床を注意して見ると、周囲とは異なる小さな印があります。これは、1921年に原敬首相が襲撃された事件を伝える表示です。東京駅にはもうひとつ、1930年に濱口雄幸(浜口雄幸)首相が狙撃された出来事を伝える表示もあります。

約9年の間に、同じ東京駅で2人の現職首相が襲われました。現在も駅構内には、それぞれの事件地点を示すプレートが設置されています。この記事では、原敬と濱口雄幸が東京駅にいた理由、事件の経緯、現地に残る歴史表示を紹介します。

この記事で分かること

  • 1921年の原敬襲撃事件と、1930年の濱口雄幸狙撃事件の概要
  • 2つの事件に共通する、東京駅と地方への出発という背景
  • 現在駅構内に残る2つのプレートの場所と見学時の注意点

東京駅には2人の首相襲撃事件を伝える印がある

まず、2つの事件の概要を整理します。

人物 発生日 東京駅にいた目的 事件後 現在の表示場所
原敬 1921年(大正10年)11月4日 京都で開かれる政友会の大会に出席するため、京都行きの列車に乗ろうとしていた その場で倒れ、駅長室で手当てを受けたが亡くなった 丸の内南口
濱口雄幸 1930年(昭和5年)11月14日 陸軍特別大演習の視察のため、神戸行きの特急「燕」に乗ろうとしていた 一命を取り留めたが、翌1931年8月に死去 第4ホーム階段下、中央通路寄り

東京ステーションシティの公式歴史パネルでは、この2つの場所を、それぞれの事件地点を示すものとして紹介しています。

丸の内南口には、原敬首相が襲撃された事件を伝えるプレートがあります。通行の妨げにならない位置から確認してください。

1921年、原敬が丸の内南口で襲撃された

原敬は、衆議院に議席を持ちながら本格的な政党内閣を率いた首相として知られ、爵位を持たなかったことから「平民宰相」と呼ばれました。大正デモクラシー期を代表する政治家のひとりです。

1921年11月4日午後7時20分ごろ、原敬は京都で開かれる政友会の大会に出席するため、丸の内南口へ向かっていました。19歳の鉄道職員に短刀で右胸を刺され、その場に倒れます。駅長室で手当てが行われましたが、亡くなりました。犯人は、原の政友会内閣や政治運営への不満を供述したとされていますが、事件の背景や動機を一つの理由だけで説明することはできません。

現在の表示は事件当時のものではない

現在の丸の内南口には、原敬遭難現場を示す説明プレートがあります。プレート自体は1921年当時から残るものではなく、後世に事件の経緯と地点を伝えるために設置された歴史表示です。付近には床面にも印があるとされますが、その設置時期や改修履歴については、今回確認した公式資料では明らかにできませんでした。

東京駅に設置された原敬遭難現場の説明プレート
このプレート自体が1921年から残っているわけではなく、事件の記憶を伝えるために後年設けられた歴史表示です。

1930年、濱口雄幸も東京駅で狙撃された

濱口雄幸は、その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれ、立憲民政党総裁として内閣を率いた首相です。金解禁や緊縮財政、ロンドン海軍軍縮条約の批准など、当時の重要な政策判断の渦中にありました。

1930年11月14日午前8時58分ごろ、濱口雄幸は岡山県での陸軍特別大演習視察のため、午前9時発の特急「燕」神戸行き一等車に向かってホームを歩いていました。銃撃を受け、腹部を押さえて崩れ落ちます。医師の応急手当の後、東京帝国大学医学部附属病院へ搬送され、手術によって一命を取り留めました。一時は回復に向かうかに見えましたが、その後容体が悪化し、翌1931年8月26日に亡くなりました。

原敬がその場で亡くなったのに対し、濱口雄幸は一度は一命を取り留め、事件から半年以上のちに死去したという違いがあります。犯行の背景には、ロンドン海軍軍縮条約の批准をめぐり、軍部の圧力に抵抗した濱口内閣への不満があったとされています。

東京駅構内に設置された濱口雄幸首相遭難現場の説明プレート
東京駅構内には、濱口雄幸首相が狙撃された事件を伝えるプレートもあります。

2人に共通するのは、地方へ向かう出発時だったこと

2つの事件の背景は同じではありません。原敬事件では政友会内閣やその政治運営への反発が語られ、濱口雄幸事件ではロンドン海軍軍縮条約をめぐる激しい政治対立が背景にありました。

それでも共通しているのは、両首相が地方へ向かう列車に乗るため東京駅を利用していた点です。原敬は京都で開かれる政友会の大会へ、濱口雄幸は岡山県で行われる陸軍特別大演習の視察へ向かう予定でした。東京駅は、首都から全国へ延びる長距離鉄道の中心であり、政治家や要人にとっても重要な出発拠点でした。2つの事件は、東京駅が交通史だけでなく、近代日本の政治史の舞台でもあったことを示しています。

2つのプレートはどこにある?

東京ステーションシティの公式歴史パネルでは、原敬の遭難現場を「丸の内南口」、濱口雄幸の遭難現場を「第4ホーム階段下、中央通路寄り」としています。両地点には、事件の経緯を記したプレートが設置されています。

原敬のプレートは、丸の内南口の改札外で確認できます。一方、濱口雄幸のプレートはホーム側にあるため、見学には乗車券や入場券など、改札内へ入るための条件を確認する必要があります。

なお、「第4ホーム」は公式歴史資料上の呼称です。現在の番線表示との対応については、今回確認した資料だけでは確定できませんでした。訪問の際は、JR東日本の最新構内図または現地の表示でご確認ください。

現地では静かに確認しよう

  1. 原敬のプレートは、丸の内南口の改札外を目安に探してみてください。
  2. 濱口雄幸のプレートは、第4ホーム階段下、中央通路寄りが目安です。現在の番線については現地の構内図でご確認ください。
  3. 通路の中央に立ち止まらないようにしてください。
  4. 歴史的事件を伝える場所であることに配慮し、通行者の妨げになる撮影や、長時間の滞在は避けてください。
場所
東京駅構内(丸の内南口ほか)
改札
原敬のプレートは改札外、濱口雄幸のプレートは改札内側にあるとされるため、訪問前に最新の構内図でご確認ください
見学時間
各プレートの確認は数分程度。2か所を回る時間は、改札内外の移動条件によって変わります
料金
改札外のみなら無料。改札内へ入る場合は乗車券または入場券等が必要です
おすすめの人
東京駅の歴史、近代史、政治史に興味がある人
注意
通行量の多い場所のため、人の流れを妨げないようにしてください

まとめ

東京駅には、原敬と濱口雄幸という2人の現職首相が襲撃された歴史があります。丸の内南口と第4ホーム階段下、中央通路寄りには、現在もそれぞれの事件地点を伝えるプレートが設置されています。普段は見落としやすい小さな表示ですが、東京駅が交通だけでなく、近代日本の政治史の舞台でもあったことを伝える痕跡です。次回は、東京駅にあるゼロキロポストを紹介します。

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